「母の日」と「父の日」

どうしても「母の日」に比べ「父の日」は地味であり、忘れがち。何故か?何故だろう?!
個々に理由はあると思うが、私の場合は明確だ。父が嫌いだったからである。

 

「母の日」と「父の日」

母は、口うるさいけどやはり最終的には深い愛情を感じた。何があっても、絶対に自分を受け止めてくれるそんな大きなものを感じていた。
だから、自然に母の日には自分から進んで貯めたお小遣いでプレゼントを買って、嬉しそうに涙ぐむ母を見るのが毎年恒例だった。

 

最初は小学4年か、5年の時に自転車で小一時間掛けて街で一番のショッピングセンターへ行って花束を買った記憶が鮮明に有る。
そこから毎年エプロン、財布等数年前に早くして亡くなってしまうまで贈り続けた。

 

でも、「父の日」は対照的に全く記憶にない。多分、母に背を押され泣く泣くビールとか煙草を買いに行った記憶しかない。それは、その偽善的な行為は今でも続いている。
理由は、書けないが、書きたくもないが、やはり自分にとっての父親は良い印象がない。

 




「母の日」と「父の日」

自分が父親になったらそんな父親にはなりたくないと思ったし、そうならないようにしているつもりだ。

 

でも、小5男、小3男、年中女の三人の父親になって分かった。自分の様な父親に対する嫌な感情を抱かれていないにしろ、父親は母親には絶対に勝てない。それだけは分かった。

 

お腹を痛めて命がけでこの世に生んでくれた、何ヶ月もの間お腹の中で会話して来た、母乳で育てられた、そんな母親の全身からの愛情には男なんかは絶対に勝てないし、勝とうと思ってはいけない。嫉妬なんて言うものは無用である。

 

なので、どんなにあがいても「父の日」はおまけの記念日で地味なのである。父親は半ば偽善と分かりつつも感謝の意を表してもらえるだけで幸せなのである。もちろん、個人差はありますが。

 

ただ、どっちにしても親に感謝する気持ちを表す日というのはこうやって記念日として創ってもらわないとそうそう出来るものではない。

 

そう云う意味では有り難いのかもしれない。あとは、子供達と良き信頼関係を築きなから、時には友達のように、ある時には先輩のように、先生のように慕ってもらい、成人するまでは特に良い時間を過ごせたら良いと思う。

 

そうしていれば、「父の日」云々ではなく、父親としては充分幸せだと思う。本音です(笑)